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【活動報告2022.06.23】(第15回)縁joy!日本書紀の会

開催日: 2022年6月23日(木)
出席者[入会順、敬称略]:  荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、柳下、鈴木

<発表者> 増山

聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれ民衆から慕われた第16代仁徳天皇、その息子たちの時代にはどのような物語があったのでしょうか? 仁徳天皇と皇后磐之媛命(いわのひめのみこと)の間には4人の息子が生まれました。そのうちの3人が後に天皇となりましたが、その過程は穏やかなものではなく、波乱万丈のストーリー展開がありました。第一皇子の履中(りちゅう)天皇は、即位前に第二皇子である住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)に殺害されそうになりました。何とか逃げ延びた後、彼は第三皇子の(後の)反正(はんぜい)天皇に命じて、仲皇子を殺害させました。この二人の天皇の在位期間はどちらも4~5年と比較的短く終わりました。反正天皇崩御後は、第四皇子の允恭(いんぎょう)天皇の即位が周囲から期待されましたが、「自分は適任ではない」と躊躇され、2年に及ぶ空位が生じました。しかしながら、最後は周囲に推されて即位を決意されました。允恭天皇は、忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめのみこと)との間に5男4女を授かりましたが、この子供たちの間にも事件が勃発します。また、皇后との間にも妹の弟姫(おとひめ)をめぐる愛憎劇が生じ、ここにもまた波乱万丈のストーリー展開が繰り広げられました。夫婦関係や子育てはどうあるべきか、現代にも通じるテーマを感じつつ、参加者の皆さんと共に古の物語をたどりました。

<感想> 宮嶋

  ―仁徳天皇の息子たち―と題し、「巻第十二履中天皇・反正天皇」と「巻第十三允恭天皇」について日本書紀の記述をもとに発表されました。増山さんは第7回縁joy!日本書紀の会で「巻第十一仁徳天皇」を取上げ、天皇が民衆に寄り添う施政を行ったことや、大規模灌漑工事等により大阪の繁栄と発展の端緒となった事績について紹介されました。一方、多情な性格に伴う皇后との愛憎渦巻くストーリーについても触れられていました。そうした仁徳天皇の「息子たち」にも父親譲りの性格が表れている事項が随所に見受けられました。

増山さんの発表後、メンバー各自が感想を述べました。その中で共通した意見が「履中天皇と允恭天皇における事績内容が、政治的なことについてはほとんど触れられずに、王位継承による骨肉争いや女性問題といったドロドロとした人間臭さが感じられるものが大部分を占めている」というものでした。国内向けに書かれた古事記に対して、国外向け(対中国)に書かれたと言われている日本書紀であるにも関わらず、権力闘争や嫉妬心といったscandalousな内容を敢えて記載している点に

・分かっている事は忠実に書きたい
・きれい事ばかりでは無く、リアリティを重視して書くことにより、存在感が高まるのではないか

などといった編纂者の意向(?)についての興味深い意見が挙っていました。

今回取上げられた三人の天皇は、中国の史書『宋書』倭国伝に出て来る「倭の五王」なのではないかという説もあります。しかしながら、それに伴う中国や朝鮮との関係についての記述が無いのは何故なのか???・・・等々、増山さんの発表を受け、妄想を膨らませながら和気藹々と意見を言い合う、そんな雰囲気が感じられる会でした。

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