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【活動報告2022.0601】縁joy!日本書紀の会・一周年記念FW&懇親会

コロナ禍のど真ん中に発足してから、ずっとZOOMで開催されてきた「縁joy!日本書紀の会」(縁日会)ですが、ようやく皆で顔合わせすることができました。

天候にも恵まれ、まず向かったのは、日本書紀の時代から連綿とつながる皇室の現代の陵墓地、多摩御陵です。都立大と同じ八王子市、車なら都立大から約30分です。入り口を入ると玉砂利と美しく剪定された杉並木が心を洗ってくれます。奥の方から大正天皇・貞明皇后、そして昭和天皇・香淳皇后の上円下方墳が並んでおり、順番にお参りしました。

おごそかな気分になったところで、次は圏央道からさきたま古墳群のある行田市に向かいます。ちょうど昼時となったため、さきたま最大の古墳、二子山のふもとにあるうどん屋、「さんぽ道」でランチ。行田名物のゼリーフライをうどんと一緒に頂きました。ゼリーフライはおからを素揚げにしたコロッケのようなもので、B級グルメとして行田市では市をあげて絶賛売り出し中だそうです。右上の小判型のものがゼリーフライ。もともとは小判型をしているので銭フライだったのがいつの間にか、なまってゼリーフライになったのだとか。

さきたま古墳群は8基の前方後円墳と1基の大型円墳が集積する関東屈指の古墳群の一つです。古墳公園として整備され、公園内のさきたま史跡の博物館では稲荷山古墳出土の国宝「金錯銘鉄剣」などが展示されています。

まず向かったのは丸墓山古墳。直径100mを超える円墳で、円墳としては全国最大級です。頂上まで登りましたが、さきたま古墳群の中の最高峰?で、息が切れます。秀吉の小田原攻めの際、石田三成が北条方の忍城を水攻めするのに、この古墳に陣を敷いたとのこと。見晴らしがよく、遥か彼方に忍城を臨むことができました。

丸墓山古墳、階段が長い

続いて稲荷山古墳に登りました。後円部墳頂の埋葬場所には発掘時の復元図が描かれていて、鉄剣がここから出てきたんだという実感が湧きます。隣の将軍山古墳では、後円部の石室が復元・展示されており、埋葬の様子を知ることができます。

稲荷山古墳の後円部頂上

2時間ほどの古墳巡りで公園を一周して博物館に到着。寄る年波には抗えずちょっとぐったりですが、国宝の鉄剣を見るため頑張ります。この鉄剣、サビてはいますが、金の象嵌の文字は展示ケースのガラス越しにもはっきりわかります。事前の勉強会で学んだとおり、ワカタケル大王(雄略天皇)に仕えていた人物がその功績をたたえるため作らせた刀である趣旨のことが書かれています。日本書紀にも描かれている雄略天皇が実在したことを考古学的に証明する貴重な文字資料です。ワカタケルの名前が刻まれた鉄剣は熊本でも出土しており、稲荷山古墳が築かれた5世紀後半には、大王の支配が関東や九州にも及んでいたことを実証するものでもあります。

そのほか、青銅鏡や鉄の馬具、帯金具などと埴輪や土器などが展示されており、当時のサキタマの被葬者の権勢の大きさを知ることができました。

さきたま古墳群FWの後は、高尾まで戻り、「高尾山名主 ごん助」で打ち上げました。6000坪の敷地にひっそりたたずむ離れ個室で、海の幸・山の幸を炭火で炙る囲炉裏焼き。一日の疲れをいやし、日本書紀への思いと二年目のFWに向けて大いに盛り上がりました。

多くの方々から「この会に入っていなかったら、埼玉県にこんな古墳があるなんて知らず、足を運ぶことも、国宝の鉄剣をみることもなかった!」という声があがりました。日本の国の成り立ちには興味はあるけど、日本書紀は少しハードルが高いなと思っている方、そんなに大層なことはないです。私たちと気軽に勉強してみませんか?

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