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【活動報告2023.01.19】(第21回)縁joy!日本書紀の会

開催日: 2023年1月19日(木曜日)
開催場所:オンライン
出席者[入会順、敬称略]: 荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、柳下、鈴木

<発表者>鈴木

今回は、初代神武天皇です。

天孫降臨の地、日向を後にして、大和を征服して大和朝廷、そして今も続く天皇家のルーツとなられた方です。神武記はその90%が東征の話に費やされています。そこで、まずは東征のルートと戦いの状況について整理をしました。

日向から北上し、一度玄界灘にでたあと、瀬戸内海を進み、吉備で3年滞在、軍備を整えたうえで大阪へ。当時まだあった河内湖を経由して生駒山のふもとで上陸、そこでナガスネヒコと戦い手痛い敗戦を喫してしまいます。やむなく東から攻めるべく迂回して、和歌山から熊野へ。八咫烏の案内もあり、熊野山中から大和盆地の裏手となる宇陀に到着。この間、いくつも戦いはありましたが、宇陀からいよいよ大和盆地に攻め入ることになります。最後は、再度ナガスネヒコと対決となります。

ナガスネヒコとの戦いは膠着状態となりますが、ナガスネヒコが君と仕える饒速日命(ニギハヤヒノミコト)により決着がつけられました。饒速日命は天の磐船に乗って天下ってきた神様で、ナガスネヒコの妹を娶り、ともに大和の開発に努めてきていました。その饒速日命が神武の大和支配の正当性を認めて忠誠を誓い、納得しないナガスネヒコを殺して神武に仕えることになります。神武はその後、大和国内に残っていた反対勢力を攻略し、紀元前660年初代天皇として即位します。

饒速日命は物部氏の祖先ということになっています。720年に完成した日本書紀は、藤原(中臣)鎌足の息子、不比等が中心となって編纂したとされていますが、この時期は、未だ藤原氏が外戚としての権勢をふるう前であり、物部氏や大伴氏などの豪族たちも相当な力を持っていたと考えられます。

日本書紀が最も語りたかったのは、万世一系の天皇の正統性であるがその次に語っているのは「諸氏族仕奉の起源」であるという説があります。確かに日本書紀をよく読んでみると、天孫降臨の際、中臣氏の祖先の天児屋命(アメノコヤネノミコト)はお付きとして一緒に天下った5人の神様の一人だし、それを先導したのは大伴氏の祖先の天忍日命(アメノオシヒノミコト)でした。この神武東征でも、天忍日命の末裔で、大伴氏の祖先である道臣が熊野からの道を切り開き、大和での戦闘でも大活躍でした。物部氏の祖先饒速日命は大和そのものを献上し、政権中枢に残ります。また、天児屋命の孫、天種子命も東征の途中宇佐でお媛さまを娶って中臣氏の祖となったと、地味に登場しています。どうも、中臣・大伴・物部の3氏は日本書紀の中では天孫降臨から神武東征という日本の国の成り立ちに最初から貢献していたんだということを言いたかったのかもしれません。

<感想>森本

 神武天皇と言えば初代天皇としてあまりにも有名で、多くの人が認知していることでしょう。そして、日本書紀における「神武巻」では東征がその主テーマとなっています。しかし思いのほか、主人公の神武天皇が、直接登場し活躍する場面が少ないということに気づかされました。単純に言えば、苦戦しながらも神の力に導かれ、側近に助けられながら、最後は思いを遂げるというストーリーだったんです。もっとアメリカンヒーローのように、最初から最後まで「俺が俺が・・・」で「全て俺のお陰だぞ。いえ~い」なのかなと思いきや、意外に控えめなヒーローでした。たぶん、神武天皇を半神格化、ハイグレード化し、日本人の美徳に合ったヒーローとすることが求められたのではないかと(私は)考えます。

 また日本書紀では、国内平定の課程で「裏切り」や「殺戮」があったこと、一方で、平和裏に「国譲り」が行われたことなどが随所に隠さず記されています。今回は双方とも盛り込まれた内容となっており、犠牲と話し合いのもとで国づくりが進められたことが分かります。加えて、話し合いに応じ合意した者については、その後も丁重に厚遇するなど、全てを駆逐して新たな自分たちの国に造り替えるという諸外国との考え方の違いについても考えさせられました。

 神武東征は、(私のテーマの)神功皇后東征と被るところや類似点が多く見られるので、関心を持って拝聴しました。

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