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【活動報告2023.7.20】 (第27回)縁joy! 日本書紀の会

開催日: 2023年7月20日(木)
開催場所: オンライン
出席者[入会順、敬称略]: 荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、柳下、鈴木
<発表者> 荻野

 今回も「景行天皇の九州遠征初戦」の舞台を巡りました。この戦いでは現地の神夏磯媛の協力を得て、4人の土蜘蛛(鼻垂・耳垂・麻剝・土折猪折)を討ち滅ぼしました。様々な伝承を元に、神夏磯媛と4人の土蜘蛛の活動領域を地図上にプロットしてみたところ(下図左)、豊前国全域に渡ることがわかりました(下図右)。

 時は卑弥呼の時代の約半世紀後。邪馬台国畿内説・九州説への興味もさることながら、この時代の九州とヤマト王権の力関係、地域統治の実態を探るために、日本書紀の行間を紐解きました。まずは文献調査から始めましたが、それだけでは物足りず4泊5日の「独りFW」に出かけました。
 地図を眺めているときは、この地域は海岸線近くまで山が迫り、平地が狭い印象を受けていましたが、神夏磯媛の舞台「礒津山(しつのやま)」の伝承地「貫山」に登って眺めると、想像に反して広大であることが分かりました(写真↓)。

 日本書紀は、”天皇はついに筑紫においでになり、豊前国の長峡県について行宮を立ててお休みになった。そのところを名づけて京(みやこ)という“ と伝えています。貫山の東南麓には、
・「行宮(かりみや)」の伝承地、
・「福岡県京都(みやこ)郡」という地名、
・九州最大の前方後円墳「豊前石塚山古墳」
などが残り、当時の空気感を今に伝えています(下図)。
この古墳には纏向・箸墓古墳の築造規格が踏襲され、京都・椿井大塚山古墳出土の三角縁神獣鏡の同范鏡(同型鏡)が出土するなど、ヤマト王権の影響を強く受けています。築造時期はこの戦いと同年代と考えられおり、景行天皇の気配を感じない訳にはいきません。

 豊前石塚山古墳は、穏やかな瀬戸内海の西端、玄界灘から半島への入り口に当たり、その東方に広がる広大な豊前国は(下図)、筑紫・阿蘇など九州全土を平定するための足掛かり(拠点)として最適地だということを実感することができた「独りFW」でした。

 次回は、豊後・日向での第2戦に入る予定です。今回と同様、行間を埋めるための「独りFW第2弾」の計画立案に着手しました。
以上

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