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【活動報告2023.02.16】(第22回)縁joy!日本書紀の会

開催日: 2023年2月16日(木曜日)
開催場所:オンライン
出席者[入会順、敬称略]: 荻野、関、増山、森本、宮嶋、深田、柳下、鈴木

<発表者> 森本

今回は、昨年5月に発表した神功皇后の話の続きで、内容は新羅出兵です。

一言でいえば、「神のお告げを受けた神功皇后が、夫である仲哀天皇の亡き後、新羅出兵の先頭に立ち制圧に成功した」というのが骨子です。今回の発表では一文一文の細かいことにはあまり拘らず、本文から派生した関連事項に重点を置いて解説した結果、寄り道や脱線話にほとんどの時間を費やしました。

具体的には、ゆかりのある土地や神社(「地名」、「場所」)、日本人マインドや習慣を形成した様々なゆえん(「神と魂」、「ケガレ」、「言霊」、「共生」)などです。前者の、地名や神(社)名は、現在と日本書紀とでは標記(漢字)が変わっているところもありますが、特定できるところも多くあります。「大三輪(おおみわ)の神」「対馬の鰐浦」「鎮懐石八幡宮」「住吉坐荒御魂神社」などがあげられます。後者の、日本人マインドに受け継がれている様々なDNAのようなものについては、日本書紀のこの時代から覗い知ることが出来ることに強く心を引かれました。

ひとつ「神と魂」という事例をあげましょう。日本書紀には多くの神社が登場し、今回の神功皇后巻も例外ではありません。神様は「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」の二面性を持っているといわれています。和魂とは優しい温和な霊力を指し、荒魂は勇猛ではあるが粗野で人を祟(たた)ることもある霊力を指します。現代風に表現をすると「あの人、普段は優しいんだけど、怒るとめっちゃ怖いんだよね」といったところでしょうか。そして、神様から和魂や荒魂だけ取り出して別に祀(まつ)ることがあることにも驚きました。例えば、伊勢神宮外宮の正宮には豊受大御神(とようけおおみかみ)という神様が祀られていますが、その荒魂だけを外宮内の別宮「多賀宮」として祀っています。その他、住吉三神の和魂を大阪の住吉大社が、荒魂を下関市の住吉坐荒御魂神社が祀っています。何故このようなことをするようになったのかについては、それぞれの神社の歴史的背景などがあると思いますが、神社参拝の際は注意深く見て調べてみることも面白いかもしれませんね。

また、日本人は神社の神様を臨機応変に入れ替えてきました。神社には本殿のほか、周囲に摂社や末社といったものがありますが、摂社とは当該神社のもともとの神様でしたが、人事異動で本殿から摂社へ転居させられたといった具合です(末社はそれ以外の神様)。では何故、かつての神様を何らかのカタチで残し、いつまでも祀っているのか。それは前述の通り、荒魂による祟りが怖かったからです。

このように、古の書物から現在の日本の、そして今の日本人マインドに至るルーツなるものを探ることが出来たのは新鮮な発見でした。

<感想>増山

 今回の森本さんの発表は、神功皇后の新羅遠征(三韓遠征)を題材とした内容でしたが、その後の日本人のマインドに大きく影響したと考えられる示唆が数多く含まれていました。これまで深く考えずに「そういうものだ」と思い込んでいたことが、実は日本書紀に遡ることでその理由に至ることができる、という気づきがあることを学ばせて頂きました。(まさにチコちゃんに叱られそうですね!)  特に、神様と魂の有り様に関して、神社や祀られている和魂や荒魂についても、とても興味深く聞かせて頂きました。大阪出身の私は、今回の発表で紹介された神功皇后に所縁の深い住吉大社に何度もお参りさせて頂いたことがありますが、住吉大社の背景については知識がなく、今でも「反橋(太鼓橋)」のイメージが残っているくらいでした。次回参拝させて頂くときには、関連する知識を整理してからゆっくりとお参りさせて頂きたいと思います。

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