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【活動報告】2021.0519(第2回) 縁joy! 日本書紀の会

第2回(2021年5月19日(水)20:00~

第2回は、深田さんから、” 戦後の古代史研究と『日本書紀』/古墳時代のヤマト王権の変貌“と題したお話を頂きました。

1. 戦後の古代史研究と『日本書紀』

 戦後の皇国史観の否定という潮流の中、『皇紀』から算出された初期の天皇の寿命が長すぎるなどの疑問から歴史書としての日本書紀の価値を疑う声が主流になったという歴史的転換について示され、一方で、『春秋歴』(*1)を用いることで不自然な寿命問題に合理的な説明が得られ、歴史書としての信憑性が得られるとする立場もあることが説明されました。更に「邪馬台国の所在問題と日本書記」として、九州説について熱く語られました。

(*1)五胡16国時代の裴松之(はいしょうし)が「魏志倭人伝」注釈で示した古代日本の暦。当時の日本は、「収穫期(春~秋)」と「非収穫期(秋~春)」をそれぞれ1年と数える暦を採用していたため、1年を2年と数えていたとする立場。

確かに『春秋歴』で換算すると、第12代景行天皇の、”天皇は高穴穂宮でお亡くなりになった。年百六歳であった。”という日本書紀の記述は、”年五十三歳”と読み替えることができるため信憑性が増しますが、一方で、日本武尊の熊襲討伐に関する記述:”冬十月十三日、日本武尊を遣わして、熊襲を討たせた。このとき、年は十六歳。”は少々苦しくなるのかも。。。

邪馬台国問題について、畿内説派と九州説派の主張の比較検討も楽しそうです。

何れにしても日本書紀の解釈に、非常に微妙な背景があることが理解できました!

2.古墳時代のヤマト王権の変貌

古墳時代の東アジア(朝鮮・中国・北アジア)情勢について概観頂きました。日本書紀の記述がどこまで信憑性があるのか分かりませんが、天武天皇が命じて編纂を始めた8世紀までの長い期間、これらの地域から強い影響を受けながら国造りに邁進していたのは疑う余地はないのでしょうから、確かに周辺諸国の歴史観も掴んでおかないと、日本書紀上の文字を追うだけの浅い学びになってしまいそうですね!

深田さん、スタートラインに着いたばかりの私たちにとっては、大変貴重な問題提起でした!

会の名前を「enjoy!日本書紀の会」から「縁joy!日本書紀の会」、通称「縁日会」に変更しました。「日本書紀のにの字も知らない」私たちが、恐れを知らずに集まった「縁」を大切にして、「このごjoy(楽しむ日本書紀の会」という意味を込めました。

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